共在の場を考える研究会の稲津さんからPR記事をいただきました!

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    ブログ担当の市野です。



    神戸・長田についてのトークをおこなわれる、共在の場を考える研究会の

    稲津さんからPR記事をいただきましたので紹介いたします。

    稲津さんたちは4階のギャラリー2にて、展示もおこなわれております。


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    こんにちは。稲津秀樹といいます。

    ふだんは大学院生をやっていますが、明日と明後日は神戸・長田(ジモト)の出身者として、あるいは阪神淡路の震災を同地で経験した者の一人として、参加したいと思っています。


    今回のカルタイでは、神戸の「長田」をフィールドとしたトークセッションを、24日(日)10時30分―12時30分(4Fギャラリー2のブース)の時間帯に開催します。

    タイトルは「まちかどの記憶とその記録」。

    当日は、「長田」をフィールドワークされてきた関西圏の優秀な若手(研究者)の方々にお越し頂いて、同地で生きてきた(いる)さまざまな移住者の人びとの記憶についてじっさいの地図をみながら、ご報告いただくことがメインになります。

    また、カルタイの企画委員であり、岡山を舞台に『朝鮮学校ダイアローグ』という企画にも携わる川端浩平さんにもお越しいただき、議論したいと思っています。


    でも、そうしたことに何の意味があるのでしょうか?ここでは、企画のオーガナイズに携わった私自身の個人的な関心をお伝えするのが一番だと思いますので、御紹介させて頂きたいと思います。少々長くなりますが、ご笑覧頂けたら幸いです。

    今回の企画は、同地における私個人の震災の記憶を大きく揺さぶられる出来事が、近年で立て続けに起きたことがきっかけとなっています。

    ひとつめは、皆さんもおそらく御存じの「鉄人28号像」が新長田駅近くに建ったことです。



    【鉄人28号像 2010年5月1日 筆者撮影】


    この像が建った2009年当時より、私の中で非常に「微妙な違和感」がもやもやと湧きおこってきました。当時は、その違和感が意味するところはよくわからなかったのですが、年数を経るにつれ、その違和感が徐々に輪郭を形作っていきました。


    それは、同像が、長田における「震災の復興」をシンボライズするものとしてメディアを通して語られ、また同地における市政や観光が語られる上で、不可欠の対象となっていったからです。そうしたかたちで同地における「復興」が進み、語られ、表される過程を、わたしは、一人の被災経験者として複雑な想いでみつめてきました。


    1995年1月17日以降、16年以上にわたって、長田という町は、常に「震災」/「復興」と共に語られ、また、表されてきました。震災後に郊外へ移り住み、同地を久方ぶりに訪れた大学生の頃、同地のある商店街でまちの活性化に関する事業にボランティアとしてお世話になっていたとき、商店主の方々が口ぐちに仰っていた、「震災」をめぐる「負のイメージ」をなんとか払いたい、といわれていたことに衝撃を受けました。震災復興計画に指定された再開発エリアに建った簡素なビル群。止まらない人口流出と高齢化。そうした中、同地で生活を再び立てていこうにも、商売することすらままならない状況があったのです。私が御世話になっていた当初(2005年-2006年頃)はお好み焼きやソースといった地域資源を動員しながらまちづくりが行われていたのですがそれらも振るわず、(それまで地域での文脈には必ずしも登場してはいなかった)「三国志」のような横山光輝作品によるまちおこし戦略へとシフトされていくちょうど過渡期の時期でした。


    その後、私は大学院へ進学し、同地のまちづくり現場からは離れることになったのですが、この商店主たちやまちづくり事業者の人びとの仕事の延長線上で「鉄人」が建ったことは間違いありません。そしてそれが報道の題材となったことにより、長田を語り、表すイメージが、大きく変容していったのは確かです。現在、「鉄人」は神戸観光のルートにも指定されたり、市主催のマラソンルートにも組み入れられようとしています。今後も神戸の長田を語る上で、必要不可欠な資源とされていくのは間違いないでしょう。こうした「復興」モデルは、3.11以降の社会を考える上でも、示唆に富むものかもしれません。

    けれども、そうした動きを見せるジモトに対する私個人の感情はと言えば、すごく複雑なものです。今も現地における生活を成り立たせしめるためには、消費による資本を落とさなくてはならない。復興にむけた人びとの思考錯誤や実践の結果、選択されたのが、震災以前にはまったく同地に関係のなかったあの「鉄人」。にもかかわらず、それが、「震災復興のシンボル」として語られ、表されていくことにより、「震災の復興」は語られても「震災の記憶」が語られ、表されなくなっていくことへの違和感・・・。「鉄人」を中心に「長田」が語られだすことで、私の中にはそうした「もやもや」が、生まれてきたのです。

    もうひとつは、NHKで2010年1月17日に放映された『その街のこども』という作品(井上剛監督)が、映画化されるまでの反響を呼んだことです。(この映画と震災の記憶をめぐっては、既にカルタイ関連企画として神戸大学国際文化学部塚原研究室の皆さんが取り組まれたこともあるので、詳しくは過去ログ等を参照してください。 http://blog.cultural-typhoon.com/?eid=6 )


    この作品を通じて、私のような年代の被災者が、どういったかたちであれ「表象」されたことが、同地における「震災」をめぐる記憶を喚起させたのでした。新長田駅周辺の映画館で同作品を鑑賞した後、私は映画の登場人物らのように思わずジモトの街を歩きだしてしまったのですが、そうした行為に依って思いだされたのは、とても個人的で、かつ、とても具体的な場所や街角に根差した友人や親せきたちとの「記憶」でした。それは「ひとまとめ」の集合表象としての「震災(復興)と長田」というイメージからは、漏れ落ちてしまわざるを得ないような、ささやかすぎるほどのエピソードでした。
     

    これらの出来事は、長田という街をめぐる「イメージ」と個人の「記憶」のあいだに横たわる大きな落差の一端を、いわば“震災の一当事者”的に感じさせる「微妙な違和感」として私には経験されたのでした。今回のカルタイ企画では、このように感じた「街のイメージ」と「記憶」をめぐる「違和感」を、個人的感情に留まらせず、神戸長田という街にかかわりのある様々な集団に属する一人一人の方にとっての「まち」と「記憶」にフォーカスを当ててみたら、どうなるのだろうか、ということを試みるものです。


    人びとが災害後や戦災後の社会を精一杯に生き抜く過程で構築したイメージによって、人びとの記憶の社会的排除が行われてしまうものだとしたら、それがどういったかたちで展開してきた(いる)のでしょうか。このトーク企画によって、神戸という都市の周辺に位置する長田と、その更に周辺で生きてきた人びとの記憶をめぐる、そうしたポリティクスの数々が示されるのではないかと思います。また、私たちによって語られる/表される人びとの記憶を、トークや報告といった形式を通じた「記録」としていかにしてまとめていくことができるのか、という論点も、大きな課題だと思います

    私たちの研究会のプロジェクトは、(私個人にとっては)こんな風な関心からはじまっていったものでした。当日は、実際に神戸長田を訪れたことがある方や直接足を運んだことがないという方もはじめ、なにより神戸やジモト・長田の人びとの来場を歓迎いたします。拡大地図も用意してお待ちしていますので、具体的な場所と、そこでの思い出について語ってもらえたりしたら、嬉しいです。研究会のメンバー一同、お待ちしております次第です。


    長文の紹介、失礼致しました。

    明日からはいよいよ本番ですね。

    会場にお越しになられるみなさまとお話できる機会を楽しみにしております。

     

     


    THE BIG ISSUE ブースからPR記事をいただきました!

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      ブログ担当の市野です。

      本日は2階多目的室にて、THE BIG ISSUE のブースを出展される井沼さんからPR記事をいただきましたのでご紹介いたします。



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      こんにちは!THE BIG ISSUE ブースを出展する井沼です!とうとうカルタイが明後日に迫ってきましたね!出展なさるみなさん、進行状況はいかがでしょうか?私は今回カルタイ初参加なので、多種多様な分野のブースや発表があると聞いてとても楽しみです!ブログ記事を読ませていただきましたが、雑貨屋さんもとっても素敵そう…!^^

       


      さて、私たち
      THE BIG ISSUEブースの進行状況ですが、スタッフは各自、THE BIG ISSUEのボランティアに参加させて頂いています。先々週はホームレスの方々が毎週やっているフットサルの練習に参加してきました!


      THE BIG ISSUE
      はホームレスワールドカップという、ホームレスだけが選手として参加できるフットサルの世界大会を行っています。日本も野武士ジャパンというチーム名で参加していて、この夏パリで大会だそうです!


      私たちが実際に一緒に練習したホームレスの方々もパリ大会をとても楽しみにされていました。練習には、ずっとオヤジギャグを言い続けるおっちゃんホームレスや、黙々と練習する若者ホームレス、住職というあだ名のまる刈りホームレスなど、個性豊かで陽気な方々もたくさん参加していて、かなりにぎやかでした。みなさんも是非参加してみてください!

       

      そうした、THE BIG ISSUEで行っている活動を紹介した小冊子の配布や、実際に販売員の方をお呼びして、普段と同じように販売をしていただいたり、バックナンバーをゆったりおちつく特製ソファでお読みいただけるスペースを用意したりなど、盛りだくさんの内容で準備しています。

       

      もちろん、THE BIG ISSUEの販売の醍醐味である、販売者さんとの楽しいトークも、いつもより楽しんでいただけると思います!

       

      今回のブース出展に際し、なんとTHE BIG ISSUEさんのご厚意により、ビッグイシューさんの公式ホームページのトップページにてカルタイの紹介文を載せていただいております。それだけでなく、神戸一帯で雑誌を販売されている販売者さんに、雑誌販売時に同時にフライヤーもお配りいただけるというご好意にも預かっています。


       

      THE BIG ISSUEさんによるブース出展に関する多大なお力添えに感謝するとともに、みなさんと当日、お会いできることを楽しみにしています!

       

      それでは詳細はカルタイ当日THE BIGISSUEブースにて♪











      tabisl bazar さんからPR記事をいただきました!

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        ふたたびブログ担当の市野です。


        つづいて、
        2階多目的室にて雑貨販売をされる tabisl bazar さんからいただいた
        PR記事をご紹介いたします。

        カルタイでは tabisl bazar さんのように雑貨などの物品販売を行われる方々も参加されます。



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        こんにちは、tabisl bazarです。

        タビスルバザールと読みます。

         
        世界各地で買い付けたり、作家さんに作って頂いたり・・
        私たちの感性にビビっときたものたちを集めた雑貨屋です。
         
        大学時代に、主催者の小笠原先生の元でカルチュラル・スタディーズを学んでいたことがご縁で、
        カルタイに参加させて頂きます。

        私たちの商品の一部をご紹介すると・・


        京都のステンドグラス作家・sippoさんと作ったオリジナルサンキャッチャー。
        窓辺につるすと、太陽の光をさんさんとキャッチしてきらきら輝きます。
         

        香港の街かどで見つけたブリキのおもちゃ。
        レトロな風合の哀愁ただよう水平さんがくるくる勢いよく回ります。
         

        chuBBieさんのお花が咲いたようなピアス。
        海外のヴィンテージ生地や部材を使って、1つ1つ手作りで作られています。


        こちらはオランダのkitch kitchenというブランドのミニバッグ。
        オイルクロスという、とても丈夫で水や汚れに強い生地でできています。
         

        すべて、いろいろなご縁で出会えたかわいい雑貨たちであると同時に、
        わたしたちがtabisl BAZARを始めるきっかけとなった、
        「物語のある雑貨」たちなのです。
         
        カルチュラル・タイフーンという場で、
        わたしたちの生きる世界を再確認し、
        さらなる継続的な思考と行動をパワーアップさせたいと思います。
         
        パネルやグループワークの合間に、ぜひお立ち寄りください。
        また新たな出会いがたくさんあることを楽しみにしています。
         
        日々のいろいろはこちらでもこっそり綴っていますので、
        blogも是非のぞいてみてくださいね。




        Exhibitor Booth Description (Family Photography: Hidden Absences and Constructed Meanings through the Phatic Dimension of Communication)

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          ブログ担当の市野です。

          Patricia Prieto Blancoさんからブースの紹介文が届きましたので、
          ここに掲載させていただきます。

          なおPatriciaさんには、ギャラリー1でのブース出展とともに、
          24日の13:30-15:00にパネルルーム4で開かれるパネルセッション、
          「映像化される歴史、不可視化される記憶」でも発表をしていただきます。


          Hi there,

          I'm Shin'ichiro Ichino, the blog staff of CT2011.

          Posted here is the booth description by Ms. Patricia Pieto Blanco.

          Instead of merely exhibiting her photographic work (Family Photography: Hidden Absences and Constructed Meanings through the Phatic Dimension of Communication), she will also talk about her project in the following session.

          Time: July 24th (Sun) 13:30-15:00  
          Venue: Panel Room 4
          Session Title: Visualised History, Invisiblised Memory



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          As requested by the organization of Cultural Typhoon few days ago, here is a brief presentation of what I'll be showcasing at the conference this weekend.

           "They (images) do not exist by themselves, but they happen; they take place whether they are moving images (where this is so obvious) or not." (Belting, 2005: 302). 

          During my childhood, summer holidays meant three months living in a tiny cottage along with my entire extended family. Adults were allowed to leave the premises every day and go to town, but my cousins, my sister and I remained there. My grandma was there too along with all of her family photographs: on the mantel over the fireplace, on the wall at the entrance. And her albums too, far away from our hands, on the top of the hutch in the living room. 

          In my grandma's album there were next to the "better" shots of the family, which depicted everyone smiling at the camera and whose aesthetics qualities didn't include bluriness or cut extremities, those that had been trimmed for diverse reasons. Sometimes it was obvious that the aim was to get a picture of a family member standing alone, but looking closely there was another much more irrititating pattern throughout the whole album. A concrete person's head had been removed again and again as if my grandma had tried to expiate the family archive of this person's inffluences and effects on the colectivity. 

            
          photo by Jake Lange

          The aim of this approach to my own family photography is to highlight the relevance of the variables that I use in my theoretical research on the matter: interaction and space. The prospective visitor will have to engage  him/herselfactively. And yet this desired participation won't allow any close access to my grandma's family archive, but the construction of a shared set of experiences around the main topic: family photography. Alone the wish to produce, yet to posses, photographic pictures, implies a social dimension of photography  which is never free of meaning and therefore depends on grammar to sucess.

           

          Belting, Hans (2005): "Image, Medium, Body: a New Approach to Iconology." In: Critical Inquiry, Nr. 31, Winter 2005. Chicago: Chicago University Press, S. 302-19) 

           

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